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1817 ジョージ3世 クラウン 試鋳銀貨 スリーグレーセス PR65+Deep Cameo
 
 
■リード
「私はこの国に生まれ、この国で教育を受けた。
 英国人であることを誇りに思う」
22歳で英国王となったジョージ3世は、王として初めて迎える議会でこう演説します。
若き国王の熱い想いに、議会は万雷の拍手でこたえました。
 
 

◆ コインの主人公 ◆―――治世60年、激動の時代を生きた王

欧州諸国との覇権争い、アメリカ独立戦争、フランス革命およびナポレオン戦争……。
60年にもわたるジョージ3世の治世は、イギリスにとってまさに激動の時代でした。

彼は王権の弱体化をよしとせず、祖父である先代国王(ジョージ2世)とはうって変わって、国政への介入を積極的に行いました。
そのため彼は王として一定の政治実績は残したものの、専制君主であったとの批判を受けることにもなったのです。
 
ジョージ3世の時代、アメリカ独立戦争が勃発します。

植民地であるアメリカへの課税と支配を強化したことで、アメリカを独立へと決起させてしまったのです
(アメリカ独立宣言の文面では、ジョージ3世の政治が大々的に非難されています)。

軍事力ではイギリスが勝っていたものの、広大な植民地全体の制圧は難しく、またアメリカもフランスの支援を得て抵抗します。

さらにはイギリスからアメリカ大陸までが遠く、補給や情報共有が困難だったこともあり、戦局は暗転。

ついにアメリカ独立を認めざるを得なくなったのです。
 
その後、宿敵フランスは革命の動乱を経て、ナポレオンの時代に入ります。

欧州全土の制圧をねらうナポレオンに対し、イギリスは対仏大同盟の中心となって対抗することとなったのです。

特に名将ネルソンの奮戦は目覚しく、各地の海戦でたびたびナポレオンの野望をくじきます。

そしてトラファルガー海戦でフランス艦隊を破り、ナポレオンの制海権獲得と、イギリス本土への侵略を防ぎました。
 
ナポレオン戦争と時を同じくして、イギリスで産業革命が起こり、武器の大量生産が可能となりました。

同盟諸国の間で武器の需要が高まったこともあり、イギリスは最大の武器生産国としても、対仏戦争を大きく後押ししました。

こうした対仏包囲網により、徐々にナポレオン側の戦局は悪化します。

そして1815年、ワーテルローの戦いでウェルズリー(初代ウェリントン公爵)率いる対仏連合軍が勝利し、ついにナポレオン戦争は終焉を迎えました。
 
しかし英国が勝利の栄光に満たされたこのとき、国王ジョージ3世はすでに正気を失っていたのです。

 
意欲を持って政治に取り組んだジョージ3世ですが、彼は神経障害の病を患っており、たびたび精神異常におちいることがありました。

その症状は、幻覚や強迫観念をともなう深刻なものだったといいます。

アメリカ独立戦争やフランス革命など、英国をゆるがす大事件が起きるたびに、彼の精神は危機におちいりました。

さらにジョージ3世を追いつめたのは、子供たちのスキャンダルでした。

特に王太子(後のジョージ4世)の不品行は目に余るものがあり、ギャンブルで莫大な借金をつくり、愛人に多額のお金を貢ぐなど、その放蕩はとどまるところを知りませんでした。

そして次男もまた、愛人を通じて賄賂を取るという不祥事を起こします。

こうした「不肖の息子たち」の度重なるスキャンダルにより、元来繊細なジョージ3世の精神は、さらに病んでいきました。

こうして彼は、1811年ごろには完全に正気を失ったといわれています。
 

◆ コインの説明 ◆―――王者の光と影

ジョージ3世の人生は、勝利の栄光もあれば精神の闇もあり、光と影が交錯していました。
それゆえ彼をモチーフとしたこの銀貨も、見る者に複雑な印象を与えます。
1817年鋳造の銀貨がモチーフとするのは、晩年のジョージ3世の横顔です。そこには激動の時代を乗り切り、60年もの長きにわたって君臨した、英国王の風格があります。
一方でその肖像は、どこか陰鬱(いんうつ)な、暗い印象をも放っています。コインに描かれた王の横顔は、どこか人生に疲れたかのような、斜陽を感じさせるものです。厳しい政治情勢と子供たちのスキャンダルに直面し続け、ついには精神を病んでしまったジョージ3世。その心の闇もまた、コインは余すところなく表現しているのです。
王をモチーフとするコインは、その治世と人生を映す、鏡のような存在かもしれません。
 
この銀貨は裏面もまた、美術的に非常な価値を有するものです。
そこに描かれた3人の美女は「スリーグレーセス」(Three Graces)と呼ばれています。それぞれがイングランド・スコットランド・アイルランドの象徴として描かれており、その足元にはそれぞれセントジョージの盾(イングランドの国章)、アザミの花(スコットランドの国花)、ハープ(アイルランドの国章)があしらわれています。
女性たちがたがいに支えあい、いたわりあうような構図には、3つの王国の団結と強調を呼びかける意匠が込められていたのでしょう。時代背景が浮き彫りになっている点でも、興味深いものがあります。
 
この銀貨はまた、希少性の面でも特筆すべき存在です。
試鋳貨であるため、発行枚数がきわめて限定されています。よっていまのところ存在が確認されているのは、全世界でわずか6枚しかないのです。
これだけの希少コインですから、次にいつ機会が訪れるかはわかりません。ぜひともこの機会に、手に取っていただきたく思います。
 

◆ コインとその時代 ◆―――ジョージ3世を取り巻く人々

ジョージ3世は、彼なりに意欲を持って政治に取り組もうとはしたのですが、その手法は清廉なものとは言いがたいものでした。

彼は王室費を節約し、その浮いた資金で多くの議員を買収し、政策の実現を目指したのです。
また宰相の人選にも独自色を発揮し、アメリカ独立戦争後の1783年、24歳のウィリアム・ピット(小ピット)を首相に任命します。

この若き宰相は、産業の振興や財政再建に手腕を発揮し、さらには自由貿易の推進によって英国経済を上向かせました。

このピットの時代に、現代政治における「首相」のあり方が確立されたと言われています。
 
ジョージ3世の時代、宿敵フランスは革命を経てナポレオンが台頭し、その欧州制覇の野望によってナポレオン戦争へと突入しました。

ピット率いるイギリスは対仏大同盟の中心となり、フランスとの戦いにまい進します。

ナポレオンの野望を海においてはばんだのが、イギリス海軍の英雄ホレーショ・ネルソンでした。

彼はナイルの海戦、コペンハーゲンの海戦などでフランスを破り、ナポレオンの前に立ちはだかったのです。

そして1805年、ナポレオン戦争で最大の海戦となったトラファルガー海戦で、フランス・スペイン連合艦隊と激突します。

ネルソンは、縦2列の艦隊で敵の隊列の側面を突き、敵艦隊を分断するという「ネルソン・タッチ」という戦法を採用。

ネルソン自身は戦死するものの、作戦は成功し、イギリス艦隊は勝利。ネルソンは命を賭してナポレオンの海洋覇権をはばみ、イギリス本土への侵攻を阻止したのです。

その後、陸においてナポレオンの息の根を止めたのは、ウェルズリー(初代ウェリントン公爵)でした。

彼の率いる対仏連合軍が、ワーテルローの戦いでついにフランスにとどめを刺したのです。

こうして、ナポレオン戦争はついに終焉を迎えます。

時に1815年、ジョージ3世の晩年の出来事でした。
 
ジョージ3世の時代は産業革命が本格的に進展しました。

国王自身も科学技術に大きな関心を寄せ、時計職人のジョン・ハリソンを支援しました。

ハリソンはきわめて正確な時計を発明しましたが、その出自の低さから、正当な評価を受けられずにいました。

ジョージ3世はこれを知って憤慨し、ハリソンを擁護します。

王の後押しを受けたことで、ハリソンの業績は正当に認められるようになったのです。
 
政治に意欲を見せたジョージ3世ですが、彼の心は子供たちのスキャンダルにより、たびたび打ちのめされました。

後継者たるべき王太子(後のジョージ4世)は、ギャンブルでの金の浪費はもちろん、性悪の愛人にお金を脅し取られるなどして、その尻拭いを父王にさせる始末でした。

さらには未亡人の女性を執拗に追い回し、父王の許可なく婚儀をあげるなど、挙げれば切りがないほどの不祥事を起こし続けたのです。

さらに王の次男もまた、父を悩ませる放蕩息子でした。

次男は軍の最高司令官を務めましたが、その地位をよいことに、愛人を通じて賄賂を取るという不祥事を起こしたのです。
 
生来繊細なジョージ3世は、息子たちのスキャンダルのたびに衝撃を受け、ついには精神異常となってしまいました。

彼は失明したうえに、末娘の死去という不幸にも襲われます。そして1811年にはついに正気を失ってしまい、ウィンザーに引きこもって余生を送ることとなりました。

精神を病んだ老王を支えたのは、王妃シャーロットでした。

王とのあいだに9男6女をもうけ、仲むつまじい夫婦生活を送ってきた彼女は、夫の療養を献身的に支えたのです。
 
時には専制君主として非難され、時には精神異常の王として語られるジョージ3世ですが、彼は人々に親しまれる存在でもありました。

その理由として、まず彼自身が先代・先々代の国王と違い、イギリス生まれのイギリス育ちだったことがあります。

生粋の英国人であり、英国王としての気概があったジョージ3世は、イギリスの人々に少なからず共感されました。

彼は精神を病んだ晩年も、療養先のウィンザーで城の外に出ては、農民たちと語らいました。そ

んな国王を、人々は親しみを込めて「お百姓のジョージ」(Farmer George)と呼んだといいます。