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1746 ジョージ2世 5ギニー金貨 LIMA PCGS MS62 世界最高鑑定!

イギリス 1746年 ジョージ2世 5ギニー 金貨 リマ LIMA PCGS MS62
人気沸騰中のイギリスコインの中で、
特にお問合せの多い5ギニーシリーズをご案内申し上げます。

今回ご紹介の品はジョージ2世治世下で作られた
最高額面の5ギニー金貨

1660−1685年 チャールズ2世
1689−1694年 ウィリアム&メアリー
1702−1714年 アン女王
1714−1727年 ジョージ1世
1727−1760年 ジョージ2世(★←こちらです)
1760−1815年 ジョージ3世

ジョージ2世(King George供
このコインで特筆すべきは、
何といってもジョージ2世の肖像の下に刻印された「LIMA」の銘文

ジョージ・アンソン提督が世界一周した折に、
航海中に入手した地金で製造した証が刻印されています

ジョージ2世治世下の5ギニー金貨は
アンソン提督がペルー沖でスペインの船から奪取したゴールドで
鋳造したことを記念して刻印されました。

ジョージ・アンソン(George Anson)
世界一周航海を成し遂げ、イギリスに帰国したこと、
スペイン船から豊富な積荷を奪取したこと、
様々な功績のもと貴族となり、国民的英雄になったと言われています。

他の追随を許さない、群を抜いた希少性!
鑑定結果はMS62!
堂々の最高鑑定です

1746 ジョージ2世 5ギニー金貨 LIMA PCGS MS62 世界最高鑑定!
商品コード 83877367
価格 0 円(税込)
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他の追随を許さない
群を抜いた希少性!

1746 ジョージ2世 5ギニー金貨 LIMA PCGS MS62 世界最高鑑定!

ハノーヴァー朝2代目の王であるジョージ2世。
彼の時代は平和外交路線と対外戦争、ふたつの様相がありました。
戦争で自ら武威を示したジョージは、有能な重臣と聡明な王妃の支えもあって、
大英帝国の幕を開ける王となりました。今回はそんなジョージ2世のコインのご紹介です。

◆ コインの説明 ◆

◆コインの表面―――自ら軍を指揮した最後の英国王

イギリス王としてのジョージ2世は、その治世の前期において平和をもたらし、
後には対外戦争で勝利を重ね大英帝国の幕を開けました。

王でありながら自ら軍を率いた彼の武威は、
200年の時を経てもなお色あせることなく、コインに重厚な輝きを与えています。
平和の安らぎと、勝利の栄光―――ジョージの治世はふたつの輝きを放つ時代でした。
だからこそ彼の金貨は、厳かな中にも奥深い光沢を持つのかもしれません。


艶に満ち、光あふれるゴールド色のコイン。
その表面は、還暦をすぎたジョージ2世がモチーフとなっています。
栄光の時代を生きた国王の横顔は、穏やかながらも威厳に満ちており、
金貨の輝きにふさわしい王者の風格を感じさせます。

金貨が鋳られたのは王の治世の中期に当たります。
ちょうど彼が治世前期の平和外交路線から一転し、対外戦争で次々と戦果を挙げていたころです。

特にオーストリア継承戦争において、ジョージ2世は自ら軍を率いて欧州大陸へと渡りました。
そして1743年、ジョージは老境にありながらも部隊を指揮し、フランス軍を撃破したのです。
このジョージの戦いは、イギリス国王が自ら指揮を執った最後の戦いとして、歴史に刻まれています。

合戦の最中、ジョージはかつての勝ち戦で身に着けた軍服をまとい、
軍旗を高く掲げて兵士の士気を高めたといいます。

艶やかなゴールド色のコインを手に、歴史へと想いを馳せれば、
当時の光景がありありと浮かんできそうです。

全軍を叱咤するジョージの雄姿、戦場にとどろく馬蹄の響き、
突撃する将兵の鬨の声、耳をつんざく砲撃、そして火薬のにおい―――
ジョージが駆けた欧州の戦場の息吹をも、コインは感じさせてくれるのです。


この勝利から3年後の1746年、今回ご紹介する金貨が鋳造されました。
コインに描かれたジョージ2世は風格に満ちており、その静かな横顔はある種の余裕すら感じさせるものです。
英国王として、その武威を欧州大陸にとどろかせたジョージ。

その武人としての威光が、コインに格調高い王者の輝きをもたらすのでしょう。
手に取れば、イギリス王家の歴史の重みを、ずっしりと感じられるに違いありません。

◆コインの裏面―――英国王の紋章
金貨の裏面には、英国王の紋章が刻まれています。
王家の紋章はそのつど変遷しますが、こちらのコインの紋章は、
ハノーヴァー朝の創始者であるジョージ1世(ジョージ2世の父)の時代に定められたものです。
紋章は王冠と盾によって成り立っており、盾の部分が4分割され、それぞれが地域(国)を象徴しています。


盾の第1クォーター(左上部分)はグレートブリテン(イングランドとスコットランドが合併した王国)の象徴です。
縦に2分割された左側がイングランド、右側がスコットランドを表しています。
イングランドの象徴として3頭のライオンが、スコットランドの象徴としてトレッシャー(縁取り)に囲まれたライオンが、それぞれ描かれています。

第2クォーター(右上部分)は、フランスを表す「フルール・ド・リス」という意匠が、3つ並べられています。
フルール・ド・リスとはユリの花を図柄にしたもので、フランス王権の象徴でもあります。

英国王の紋章にフランスの象徴が描かれているのを、不思議に思う方もいらっしゃるでしょう。
これはイングランドがフランスも支配すべきという主張のあらわれで、
14世紀のイングランド王・エドワード3世によって紋章に加えられたものです
(以後1801年にいたるまで、英国王の紋章にはフルール・ド・リスが描かれていました)。

第3クォーター(左下部分)はアイルランドを象徴するハープが描かれています。
そして第4クォーターがハノーヴァー選帝侯の紋章です。

(ハノーヴァー朝を開いたジョージ1世は、もともとはドイツの一地方の君主であるハノーヴァー選帝侯であり、
息子のジョージ2世もその地位を継承していました)

この様に国王の紋章は、支配領域のシンボルを中心に形成されています。
人々のあいだで流通するコインを通じて、国王の権勢を誇示する意味合いもあったのでしょう。

(注)金貨の上では描かれていませんが、
紋章の絵柄はそれぞれ、色についても細かく定められています。
たとえばイングランドの紋章の絵柄は、本来「赤地に3頭の金色のライオン」です。

◆鑑定会社のお墨付き! これぞ究極のコイン、究極の資産!
まばゆい輝きをたたえ、いまにも光があふれ出そうなほどの金貨。
どうぞ心ゆくまで、じっくりとご覧ください。

このジョージ2世のコインは、希少性においても特筆すべきものがあります。
鑑定結果はMS62という堂々たるもの。「磨耗が無い」ことが、完全に証明されているのです!

鑑定会社PCGSは、主なコインそれぞれの鑑定数を発表していますが、
この種類はたった6枚しか鑑定されておらず、そのなかではPR62が最高のグレードです。

現存するこの種類のコインのなかでは、ほぼ世界最高レベルの価値があるといっていいでしょう!


人気抜群の英国コインのなかでも、5ギニーは特に希少性が高く、
あなたの資産保全の切り札になりうるものです。
しかも今回のコインは、現存する同種のもののなかでもほぼ世界最高峰のPR62グレードであります。
つまりは投資対象としても将来の値上がりに大きく期待できる、至高のコインなのです!

まさに究極の金貨、至高のコイン、幻のアンティークというべきこの逸品!
これを逃せば、もうご用意できる機会はないかもしれません。
世界最高峰の金貨ならではの、なめらかな質感。ゴールド色のコインに凝縮された、栄光あるイギリス史の重み。ぜひともこのチャンスに、手に取ってご覧いただきたく思います。

◆ コインの主人公 ◆

◆王妃と重臣に導かれた王

ジョージ2世は、父・ジョージ1世がドイツの一地方の君主(ハノーヴァー選帝侯)であった1683年に生まれました。
父の後継者として育てられたジョージでしたが、10歳になったとき、母親との悲しい別れが訪れたのです。

ジョージ1世の王妃・ゾフィア・ドロテアは絶世の美女と呼ばれましたが、ふたりの仲は上手くいきませんでした。
ゾフィアが他の男性と愛人関係を結んでいたことが発覚したため、ジョージ1世はゾフィアを離縁しました。
さらには以後ゾフィアが亡くなるまでの32年間、城に監禁し続けたのです。
父王の母に対する非情な仕打ちを、ジョージ2世は激しく恨んだといいます。

そんなジョージ2世のもとに嫁いだのが、賢女として歴史に名を残す王妃キャロラインでした。
彼女は王妃という立場ながら、ジョージ2世の治世を左右する存在となったのです。

ジョージ2世は勇猛な王でしたが、ややもすれば英国を戦争に巻き込みかねない危険な存在でもありました。
さらにはドイツで育ったためイギリスの政情にも理解がありません。
当時の重臣たちにとっては、いかにジョージ2世を上手く操縦して、戦争や混乱を避けるかが、大きな課題となったのです。

先代王の時代から政権を担当していた重臣・ウォルポールは、王妃キャロラインと協力してジョージを操縦し、政権を安定的に運営しようと考えました。
このねらいは見事に功を奏します。ジョージ2世も、賢明なキャロラインの助言には、よく耳を傾けたからです。

こうした重臣と王妃の連携によって、ジョージ2世の治世の前期は国王と政府の関係が上手くいき、安定した政治が実現しました。さらにはウォルポールが平和外交路線をとったため、イギリス国民は平和な時代を享受したのです。

◆平和から戦争へ―――欧州戦線で武威を示す
しかしジョージの即位から10年後、キャロラインは死去します。これにより、ジョージ2世の対外政策は180度転換しました。よき助言者を失ったことで、王は本来の勇猛かつ好戦的な性格をむき出しにし、欧州大陸での戦争に乗り出していったのです。
特にオーストリア継承戦争(1740-1748)では自ら軍を率いて、フランス軍を打ち破る戦果もあげました(これはイギリス国王が軍を直接指揮した最後の戦いとして、記録されています)。もっともこの戦争への参戦で平和外交路線が破綻したため、ウォルポールは支持を失い失脚しました。

その後もジョージは、国内におけるジャコバイトの反乱(1745)を短期間で鎮圧し、スチュアート朝の再興を目指す勢力を一掃します。さらには七年戦争(1754-1763)や、フランスとの植民地戦争など、各方面で積極的に戦い勝利を得ました。
特に植民地の争奪戦では、植民地政策の推進者であるウィリアム・ピット(大ピット)が戦争を指導し、フランスとの戦いを勝利に導きました。

平和と戦争の時代を生きたジョージ2世は1760年、用便中に心筋梗塞となり崩御します。その遺言では、自分を王妃キャロラインの隣に埋葬するよう命じました。
キャロラインの存命時、ジョージはその助言のもとで政治を行い、平和な時代をもたらしました。しかし彼女を失うや、ジョージは一転して対外戦争に次々と乗り出していったのです。
王妃の存在ひとつが、王の治世にここまで影響を与えることも、歴史上まれなことでしょう。それだけキャロラインという女性は、ジョージにとって大きな存在だったのです。

◆ コインとその時代 ◆―――ジョージ2世を取り巻く人々

◆父王・ジョージ1世との確執

ジョージ1世(ジョージ2世の父)は、もともとドイツの一地方の君主(ハノーヴァー選帝侯)でしたが、アン女王の死後に英国王となり、ハノーヴァー朝の創始者となりました。
彼は即位した時点で54歳と高齢であり、英語も話せず、イギリスの政治にも無関心であったといいます。
ジョージ1世は、絶世の美女と呼ばれたゾフィア・ドロテアを王妃に迎え、ジョージ2世をもうけます。
しかし彼は美しい王妃に関心を示すことはなく、他の女性を愛しました。そのためゾフィアもまた他の男性と愛人関係を結んだのです。
この密通が発覚したため、ジョージ1世はゾフィアを離縁したうえ、以後ゾフィアが亡くなるまでの32年間、城に監禁し続けることとなりました。

こうして母との別れを強いられたジョージ2世は、父王のことを激しく恨むこととなります。
後に父王がイギリス王となり、ジョージ2世が王太子となってからも、両者のいさかいは耐えませんでした。
激しく反抗する王太子に対し、ジョージ1世は王太子のための宮廷費を削減するなどの嫌がらせに出たといわれています。
結局、彼らの親子関係は最後まで修復されることはありませんでした。
後にジョージ1世が崩御したさい、その報告を受けたジョージ2世は「悪い冗談だろう」と口にし、何ら関心を示すことがなかったといいます。

◆王妃キャロラインと重臣ウォルポール
ジョージ2世は英国王に即位する以前、スペイン継承戦争で功績をあげるなど、武勇の誉れが高い人物でした。
しかしそれは重臣たちにとって、必ずしも好ましいことではなかったのです。
好戦的なジョージは、もともとドイツで育ったこともあり、欧州大陸の軍事情勢に非常な関心を持っていました。
そんな人物が英国王になる以上、いつイギリス軍を率いて大陸の戦争に介入をはじめてもおかしくありません。
つまり英国にしてみれば、ジョージは武勇に優れているがゆえに、かえって国政に混乱を招きかねない国王だったのです。
このジョージ2世とまず対峙することとなったのが、先代国王からの重臣で、平和外交主義者でもあるロバート・ウォルポールでした。

ジョージ2世は父である先代国王と不仲であり、先代の重用したウォルポールのことも嫌っていました。
しかしそこはウォルポールもさるもの、王妃キャロラインを通じて国王を操縦していくことを考えました。
王妃キャロラインはきわめて聡明な女性であり、ウォルポールの意図をよく理解して、ジョージの助言者として尽力しました。
ジョージもまた、聡明なキャロラインの進言は素直に聞き入れたため、ウォルポールの思惑どおりに政治が展開されました。
政治に練達したウォルポールは、キャロラインを通じて王に提言をし、その承認を得て政治を進めることができたのです。

こうして、王妃キャロラインと重臣ウォルポールの連携により、安定した政治が展開されました。
この時期の政治を主導したウォルポールが平和外交主義者であったため、イギリスはしばらくのあいだ平穏な時代が続いたのです。
このジョージ2世の治世前期は「ウォルポールの平和」と呼ばれています。

王妃の助言を素直に聞くのですから、ジョージ2世とキャロラインの関係は良好なものでした。
キャロラインはジョージ2世が愛人をもうけることにも比較的寛容でしたが、しかし時には同志であるウォルポールに怒りをぶちまけることもありました。
王妃はもはや政権運営に欠かせぬ存在となっていたため、ウォルポールはキャロラインを懸命になだめたといいます。

こうしてジョージ2世の治世前期を支えたキャロラインでしたが、ジョージの即位から10年後、ヘルニアの手術の失敗により、その生涯を閉じました。
彼女の最後を看取るさい、ジョージ2世はわざと陽気に振る舞ったといいます。
そんな王に対し、キャロラインは自分の死後に再婚するよう勧めました。
しかしジョージは「愛人は持つが、再婚するつもりはない」と答えたといいます。
この言葉通り、ジョージはキャロラインの死後、正妻をめとることはありませんでした。
好色ゆえに多くの愛人を持ったジョージでしたが、キャロラインへの愛情は本物だったのです。

◆勇猛な3男・カンバーランド公
キャロラインの死後、ジョージ2世は積極的に対外戦争に打って出ましたが、イギリス国内もまた戦乱に見舞われました。1745年に起きたジャコバイトの反乱です。
ジャコバイトとは名誉革命(1688)における反革命勢力のことで、名誉革命で王位を追われたジェームズ2世の血統を擁立し、スチュアート朝を再興しようとしていました。
彼らはイギリスにおける内乱の火種でもあり、そこにフランスが目をつけます。フランスはジャコバイトを支援し、ジェームズ2世の孫であるチャールズ・エドワード(小僭称者)をスコットランドに上陸させました。スコットランドにはジャコバイトが多く、彼らを糾合したチャールズの軍は一大勢力となったのです。

このときジャコバイトの攻略に当たったのが、ジョージ2世の3男・カンバーランド公ウィリアムでした。ジャコバイト軍は大勢力となったものの装備は貧弱であり、戦いはカンバーランド公率いる英国軍の圧勝に終わりました。
さらにカンバーランド公はジャコバイトを根絶やしにすべく、反逆者に容赦なく制裁を加えます。敵の負傷兵を殺し、反乱に加担した集落を焼き討ちするなど、徹底した粛清を行ったのです。こうした行いにより、カンバーランド公は「屠殺者」とのあだ名がついたほどでした。
この戦いでの徹底的な措置が、いまもスコットランドに残る反イングランド感情の一因であるともいわれています。

◆大ピットが植民地戦争で勝利
ジョージ2世が対外戦争に打って出たことで、重臣ウォルポールは失脚します。
代わって有力者となったのが、植民地政策を重視するウィリアム・ピット(大ピット)でしたが、彼はジョージ2世に嫌われていました。
国王もピットも対外戦争を重視する点では同じですが、その方向性がまったく異なっていたからです。
ジョージ2世はドイツ生まれということもあり、興味の対象は欧州大陸にありました。
フランスをはじめとする欧州諸国を相手に、大陸での戦争を勝ち抜いていくことが頭にあったのです。
対するピットは大陸ではなく、植民地の獲得に戦力を投じるべきと考えていたのです。

自分と路線が違うピットを、ジョージ2世は毛嫌いしていました。
それでもピットは国民的人気があり、長く政治の中心にあり続けました。
結局はピットの主導により、英国はフランスとの植民地戦争で勝利し、各地での植民地を拡大させました。
ジョージ2世はピットを嫌っていたものの、イギリスはピットの力によって大英帝国への第一歩を踏み出したのです。

ジョージ2世は重臣に対する好き嫌いがある君主でしたが、有能な宰相に恵まれた王だったといえます。
ウォルポールやピットは、決してジョージお気に入りの重臣ではありませんでしたが、彼らが腕を振るうことで、ジョージの治世は実りあるものとなったのです。

人気・稀少性ともに抜群の5ギニーシリーズ、
資産保全や投資対象としても将来が楽しみな
人気のイギリス大型金貨をこの機会にぜひご検討ください。

ご不明な点がございましたらお気軽にお電話願います。

メール:contact@coinpalace.jp

お電話:078−262−1151 (10時〜20時)

※当店で扱っておりますコインは、真贋を保証します。

在庫が御座いますので、ショールームでもご覧いただけます。
(事前にご来店ご希望日時をお聞かせ願います)

皆さまのご来店を心よりお待ち申し上げます。


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